top of page

プロフィール 

江原 葵 Aoi Ebara

ピアニスト/ピアノ・歌講師 

InShot_20200518_014358437.jpg

 群馬県桐生市出身。白鷗大学足利高等学校音楽科卒業。

東京音楽大学ピアノ演奏家コースにてピアノと声楽を学ぶ。

これまでに、大場俊一、黒川浩、故・堀江孝子、倉戸テル、播本枝未子、

倉沢仁子、長川晶子の各氏に師事。

また、ウラジミール・トロップ、リューボフ・チモフェーエワ、アヴォ・クユムジャン各氏等、数多くの国内外のピアニストのマスタークラスを受講。

フィンガートレーニングを御木本澄子氏に、声楽を五日市田鶴子氏に師事。

現在、独奏、室内楽にて、コンサート、イベント、記念パーティー等に

出演する傍ら、ピアノと歌の後進指導にあたっている。

弘教寺(伊勢崎市)コーラスひまわり講師。

クラシック音楽初心者からクラシック音楽ファンまで、子供から大人まで楽しめる心温まるコンサート、

企画・出演・演出等を手掛ける≪江原葵PRODUCE CONCERTシリーズ≫は、全5回は好評を博した。

バレエ・朗読・日本舞踊・等、異分野とのコラボレーション等、新しい試みにもチャレンジし、新たな音楽の可能性と魅力と歓びをシェアした。

ピアノに留まらず、創作活動(チラシ・ポストカード・創作物語等々)に於いても、自らの『音彩』を表現しながら、自身の可能性を広げている。

2015年~2019年、自作物語を自ら朗読しながら自ら演奏するスタイルで『音楽の魔法物語』シリーズコンサートを開催し、好評を博した。

2018年12月 『青い月の魔法物語』続編~Christmas Version~の大人も楽しめる絵本を出版。

2019年12月 『青い月の魔法物語』続編~Christmas Version~リサイタル(ピアノ・朗読・歌)は、一般募集の『舞台で歌って輝こう』合唱プロジェクト企画を交えた第1公演、クラシック名曲の2公演、共に好評を博した。

2021年~は、新企画「『音色』のしらべ」~心・体・脳の調和Concert~を開催し、呼吸法や誘導瞑想、音叉などを取り入れた新しい試みを開始している。

 ■私の生い立ちとサロン

 私は、ピアニスト・自宅ピアノ教師である母(現:チェンバロ奏者)より、

物心つかない2歳頃からピアノの手ほどきを受け始めました。

初めは、歌が大好きで、

とにかく歌のカセットテープやレコードを沢山聴き、

歌っていました。

2歳の時、「おうまのおやこ」を、4歳の時は「キャンディーキャンディー」を、

近所の神社の のど自慢大会で歌いました。

3歳から6か月間、ヴァイオリンを習い、

幼少期は家にあったエレクトーンやラッパで遊び、

小学5、6年生の時は、マーチングバンドでトランペットを吹いていました。

小学性の頃は、沢山の母の生徒さん(中高校生のお姉さん方)に混じり、

音当て(聴音)や、ソルフェージュを遊びながら学んでいました。

小学1年生のころの夢は、ピアノの先生か絵本作家でした。

幼児期から宇都宮へ、小学5年から埼玉へ、中学2年から東京へと、

ピアノのレッスンへ通っていました。

ピアノは、練習すれば練習しただけ応えてくれ、

私の気持ちのよりどころとなっていきました。

ですが、その後、ピアノも応えてくれない時期がやってきました。

レベルが上がるにつれ、幼少期に教わったテクニックの基礎が

私には合わなかったため、

自分の中の音楽性が飛躍し、

それを表現することが困難になり、

テクニックの基礎を、1からやり直さなければ

先が見えなくなっていったのです。

そもそも、音大生でも、テクニックの基礎が身についている方は

多くはいませんでしたし、

テクニックの基礎を途中からやり直すということは、

建てた家を一度壊して土台から作り直さなければならない大変な作業なので、

そこに挑む人も、それを二人三脚で教えてくださる先生も

当時は少数でした。

それでも私は、

基礎を根本から変える事を決め、

試験前は、練習と研究に明け暮れました。

その後、無理がたたり、二度目の体調不良

(一度目は、高校3年から浪人時代の体調不良)のため、

大学4年の秋に休学、

そして後に退学となりました。

一度は音楽から離れ、自宅療養をしていました。

その間、

これまでできなかった興味のあることを

片っ端から体験していきました。

本も月に数十冊を読みあさりました。

癒しや健康に関するものが大半で、アロマ、お香、フラワーアレンジ、華道、占い、スピリチュアル、マクロビ、玄米菜食、整体、マッサージ、乗馬、カウンセリング、教育、医学、天然酵母パン、等々…

人生を見直すと言ったら大げさに聞こえますが、

音楽がすべてと思っていた私の大きな転機でした。​

そして、これまでを振り返り、

学生時代の大変な時、その時その時には、

必ずといっていいほど、

私の話を聞いて寄り添ってくださる大人の方がいらっしゃいましたし、

手を差し伸べてくださる方々もいらっしったこと、

 

私は、恵まれていたことに気づきました。

ピアノが弾けるまで回復した私は、

音大時代に得始めた、

テクニックの基礎と言われる脱力と支えを

また1から研究し、

様々な音色が出せるように練習していきました。

 

その間、

自分の慢性不調を改善すべく、

本や、インターネットで

医学情報をかき集めて行く中で、

 

未来は​セラピストになりたい

と思うようになりました。

基礎のテクニックを後からやり直して苦労した自分自身の経験から、

生徒さんの音楽人生を左右してしまうかもしれない

大切な初歩の時期に

お子さんにピアノを教えることを避けていましたが、

私自身が、

とんとん拍子で歩められなかったからこそ

得られたものがある事に気づき、

人生で役立つ事を

音楽を主軸として

お教えしていきたいと想い、

心を育みながら、

自分らしく人生を生きていける生徒さんを

育てていきたい!

音楽は私のツールであり、それを使って、

多くの人と喜びを分かち合い、カウンセリングをするような

心から寄り添う「ミュージックサロン」で、

人生の気づきの後押しをしたい!

 

 

と思うようになりました。

ご縁のある方々の個性を

自分自身で発揮するお手伝いができるように、

多くの人に気づきを促せる教師、音楽家

でありたいと思っております。

私の生い立ち
bottom of page